あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

若い人たちも夢をはぐくむ東和の里、里山の恵みと人の輝くふるさとづくり

 4月13日(木)日本共産党県議団が視察を行った「ゆうきの里東和」は地域資源循環型「里山の暮らし」の実現に向けて、ふるさとづくり協議会がつくられ、人々が力を合わせて取り組んでいて、学ぶものが、詰まっていました。

 最初に堆肥づくりセンターに行きました。農作物づくりの土台が堆肥です。COOPを辞めて、農家のためのたい肥作りに挑んだ白土さん、循環型有機農業を目指す有志19名で会社を設立。地域の有効な資源牛ふん、もみ殻、食品残さなどを活用した見事な堆肥が出来上がっていました。

 かって栄えた絹産業が衰退し、耕作放棄地になっていた桑畑にブドウの木を植え、かっての稚蚕所をワイナリーにして、農家の夢が詰まった「夢ワイン」が動き始め、豪華列車に使われることも決まりました。

 道の駅ふくしま東和を真ん中に産直、特産加工、新規就農支援など、「田畑が荒れれば心も荒れる」と子どもたちにふるさとの原風景を伝え、人と人、人と自然の触れ合うふるさとづくりを進めています。農家民宿も100人の受け入れができる20軒を超し、都会の皆さんや子どもたちの農業体験や被災地の視察などに取り組んでいます。

 美しい村など初めからあったわけではない。美しく暮らそうという村人がいて美しい村になるのである。(柳田邦夫

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テロ対策を口実に思想・言論取締法「共謀罪」の成立を許すな!阿武急保原駅前でスタンデング

 安倍政権が強行成立を狙う「共謀罪」はテロ対策に名を借りた思想・言論取締法です。テロ対策は新たな法律を作らなくても現在整備されている法律で対応できます。これまで三度も国会で廃案にされてきた「共謀罪」は話し合うことが罪になる戦争する国にするための制定です。まだまだ中身が知られていない「共謀罪」反対のアピールを4月10日(月)阿武急保原駅前で行い、18名が参加しました。車からの応援の声など周りの人たちの反響も多くありました。

高校入学おめでとう!いろいろなことを経験し、やりたいことを見つけてください。

 新入学、進級の季節です。4月10日(月)は県立保原高校入学式、定時制課程17名、商業科26名含む220名が入学しました。11日(火)は県立梁川高校の入学式で41名が入学しました。今年は梁川高校で県議会議長の祝辞代読を行いました。心身ともに大きく成長するときです。いろいろなことに挑戦をしてほしいと思います。我が家の孫も高校入学を迎えました。孫のことに思いを重ねながら、新入学の皆さんに拍手を送り続けました。

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 小雨降る薬師堂の桜です。もう少しで満開です。

梁川町の花見山をつくろう!今年も東京からの友人も駆けつけて、大館山の植樹を実施

 4月9日(日)あいにくの雨模様となりましたが、総勢40人ほどで、今年も大館山の植樹を行いました。新日本婦人の会伊達支部では今年も2本(吉野桜、花かいどう)の植樹をしました。はるかに蔵王が見え、伊達市が目の前に広がる展望抜群の山です。原発事故が起きてから、5年間、木を植え続けてきました。レンギョウの黄色や花桃のピンクなど定植した木々が咲き始めていました。今年も東京からのお友達6人を迎え、参加者がそれぞれ持ち寄った1品料理を食べながら交流しました。相馬流山や紙漉き歌、など民謡が次々と披露され、私は義母に教わった「手まりつき歌」を披露し、義母が大好きな「バラが咲いた」をみんなで歌いました。眺めが抜群のところですが、目の前の下のほうにはブルーのフレコンバックが積み上げられた仮置き場が見えました。これが原発被災地の現状です。

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復興ネットワーク,学びのネットワークへの取り組みに期待

 4月7日(金)に開かれた復興フォ-ラムは”神戸から福島へ:学びのネットワークという挑戦”という課題で、一般社団法人ふくしま学びのネットワーク理事・事務局長の前川直哉さんが話をしました。大変興味深い話でした。前川さん自身が阪神淡路大震災の時に神戸の灘高校3年生、大学を卒業して灘高校の教師として赴任した時に東日本大震災に遭遇し、灘高校「東北訪問合宿」に取り組みました。その主な目的は1)被災地域を実際に自分で歩き、自分の目で見て、多くの方のお話を聞く 2)活躍する「カッコいい大人」たちの姿を見る。カッコイイ大人として紹介された坪倉医師、フランスで事例発表を行っているところに日本から電話で「今、福島県では医師も足りず、大変なことになっている。日本に帰ったらぜひ支援に入ってほしいとの要請に「はい、わかりました」とすぐに答えてくれた医師。「私はそのような時にこそ役立つように学んできた。」との言葉はなるほどすごいと感動です。

 私たちは「なぜ学ぶのか」「課題解決のための学び」について考え、灘高校の教師を辞めて、福島に移り住み、前川さんが挑戦している「ふくしま学びのネットワーク」、教育の重要性になるほどとうなづき、自ら実践に踏み出す生き方に感動しました。日本史の教師として見ている東北の扱いについても大変興味がわきました。

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原発事故と重なる前進座公演「怒る富士」

 JAふくしま未来が取り組んだ前進座85周年特別公演「怒る富士」が4月5日(水)福島市公会堂で上演されました。東日本大震災復興・原発被害支援企画にふさわしく、観劇した人たちに「原発事故で苦しんでいる福島県民の状況に似ている」と大きな感銘を与えました。

 1707年(宝永4)12月16日富士山の南東斜面、宝永山から大噴火が起き、すそ野の村々は噴出した火山礫や火山灰で埋まり、食糧の蓄えはなくなり、田畑は耕作不能、水の供給も絶たれ、深刻な飢餓に陥りました。雨のたびに河川に火山灰が流れ込んで河床を上げ、大雨で堤が決壊、下流の村々が土石流で埋め尽くされました。当時最も被害のひどかった富士山麓の59ケ村が「亡所」(収税地とみなさない替わりに手当もしない土地)とされ放棄されました。

 若い人たちは働き口を探しに村を出ますがお年寄りや子どもなど他所に行くこともできず、支援米がなければ餓死するしかありません。幕府は全国の天領等に拠出金を命じ、被災地救援の財源として集めた40万両のうち被災地救済に当てられたのはわずか16両で、残りは幕府の財政に流用されました。砂除川浚(すなよけかわざらい)奉行と呼ばれる災害対策の最高責任者に任じられた伊奈半左衛門忠順は、飢餓に苦しむ悲惨な状況を見て見ぬ振りできず、独断で幕府の米倉を開き、1万3千石を村々の領民へ分配しましたが、その行為を罪とされ、切腹を命じられました。被災地が復興し元の小田原藩に返されたのは噴火から実に36年後のことでした。

 原作者の新田次郎氏は「身命を賭けて民衆を守る、そういう政治家が徳川時代にいた事実に、私は新鮮な驚きを感じ、このような人物が現代にこそ必要ではないか」と述べています。

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