あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

多喜二が小説書いて殺されるなんて、「母(劇映画)」に大きな感動、あの時代に逆戻りさせないために

 三浦綾子原作「母」の映画上映に大きな感動をもらいました。国家権力の拷問によって29歳で命を奪われた小林多喜二の母、セキを演じた女優の寺島しのぶさんは「多喜二の母セキという人を自分の体を通してほんとうに心から尊敬しました。強さ、逞しさ、優しさ、何よりも自分の子どもを大きな愛で包んであげる信頼する心。、、、  どんな苦難をも受け入れて前向きに進み続ける姿に女性としてだけではなく人間としての強さを感じました。」と述べています。多喜二が育った父、母とのかかわりなど、その温かさと小説を書くことが命がけであった軍国主義時代の対比も鮮明で、二度とこのような時代を繰り返してはならないとの思いがこみ上げてくる。

 前作も見たが、今度の映画「母」の監督、山田火砂子さんが「母から子どもを奪う戦争の愚かさを知ってほしい」と84歳でメガホンを持った心意気が伝わってきました。多くの人に見てもらいたい映画です。

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ありがとうございました。原田のぶおさん

 突然の訃報でした。原田信夫さんは病院に行こうと家を出て、倒れてしまったそうです。

 昭和4年に生まれたのぶおさんはきみさんと結婚され、二人の子どもさんに恵まれました。息子の俊広さんは福島高校を卒業し、法務局に努めましたが、間もなく民主青年同盟の専従になりました。最初は驚いたようですが、息子さんが平和で住みよい社会をつくるために社会進歩のために頑張る生き方を選択したことを理解し、支援してきました。きみさんと力を合わせて働き、保原町に家を求めて、移り住んでから20年になりました。いつもあたたかい支援をいただいてきました。

 私が国政選挙に立候補した時に、街頭の訴えをじっと聞いていてくれている人がいました。終わると拍手をしてくれます。宣伝カーは町から町へ移動して走ります。宣伝カーの後ろをバイクで走り、次の町でも、その次の町でも聞いてくれました。それが原田のぶおさんでした。選挙の時のチラシまきも、私の息子とこの地域、あの地域とこつこつと地図を塗りながら取り組んでいました。コーヒーが好きで、豆を挽いて入れてもらいました。寒い時に温まるからとラーメンを作ってくれてごちそうになったときもありました。本当にありがとうございました。今、大事な時、遺志を継いで頑張ります。88年間ご苦労様でした。