あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

県議現有5議席絶対確保、さらに7議席に躍進を!桑折・川俣町議選勝利を!

 10月31日(木)告示、11月10日(日)投票で行われる福島県議会選挙が目前に迫ってきました。参議院選挙の結果を受けて、各選挙区の党派間の動きも激しくなっています。消費税増税原発推進憲法改憲と暮らしも平和も壊す安倍政権を転換するために野党連合政権をつくる柱となる日本共産党を強くすることが求められています。

 交渉会派の5議席以上を確保できないと質問時間も大幅に制約され、県民の切実な声を届ける力が小さくなってしまいます。私は伊達市伊達郡区で大橋さおりさんに必ずバトンを手渡せるように全力で頑張る決意です。

 伊達市伊達郡議席日本共産党への根強い誤解や反共攻撃の中で、党員や支持者の皆さんはじめ、多くの皆さんの奮闘に支えられて確保してきた議席です。梁川の吉田昌三さんの挑戦に始まり、曳地幸一さん、岡崎勝男さんにつないできた奮闘が私の県議当選に実りました。更に霊山町国見町の党員町長誕生と革新の変化が起きました。すでにこの世を去った多くの方たちの姿が走馬灯のように浮かんできます。

 定数削減を乗り越えて、定数3の中に議席を確保してきたこれまでの伊達市伊達郡のたたかいのすべてを結実させて、若い大橋さおりさんへのバトンタッチをやりあげ、新しい歴史を開こうではありませんか。

 9月24日(火)告示、29日(日)投票の桑折町議会選挙、県議会選挙と同日投票の川俣町議会選挙でも全員当選を勝ち取りましょう!

 

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土ってありがたい!食物を育ててくれる

  手入れが行き届かない我が家の庭に今年はトマトが見事になりました。緑のカーテンのゴーヤは昨年は豊作でしたが、今年はこの頃ようやく実をつけましたが、あまり大きくなりません。それにしても、いろいろな作物が庭にあるのは助かります。気持的にも豊かな感じです。食べ物は安全第一でうれしいです。

 

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人が住まなくなった町を走り抜け、大熊町の坂下ダムへ

 福島第一原発の立地町である大熊町の大河原地区が避難指示が解除され、役場庁舎も新築され、復興公営住宅にも住み始めたというニュースを見ながら、「行ってみたいね」と夫と話をしていましたが、台風も行ってしまったようだから、見に行こうと8月17日に息子も加わり、三人で出かけました。川俣町山木屋から浪江町に入りました。放射線量は津島辺りで、車の中で、最大2.9μシーベルト、住宅の入り口はガードで閉鎖されていて、人が住まなくなった町をひたすら走り、6号線を南下し、富岡町の東電「原発事故」センターで館内を見学し、大熊町役場に行きました。

 静まり返った地に立派な庁舎が立っていました。そこから昔を思い出しながら坂下ダムに行きました。役場職員を退職された方たちが、やがて故郷に戻ってくる人たちのためにと様々な活動をされてきた「じじい部隊」の活動拠点になった所です。

 坂下ダム事務所は夫が結婚して最初に赴任した事務所です。赴任して間もなく坂下ダムは完成し、坂下ダム事務所は閉鎖となり、夫は原町にある農林事務所に転勤になりました。大熊町は1年にも満たない短い滞在でしたが、結婚して最初に暮らしたところで、いろいろと思い出深い地です。当時、福島第一原発1号機が動き始めました。坂下ダムの水は農業用が主でしたが、原発の冷却水として使われました。原発事故後、人が住めなくなった町、6号線に近い、熊地区の私たちが暮らした6畳2間の町営住宅は草の中に埋もれてしまっているのではないかと思いながら、通過しました。

 荒れ果てた景色がどこまでも続くのを見ながら、原発事故の罪の深さとそこで暮らしていた一人一人の悔しさや、怒りや、やりきれない思いを考えてみました。私たちは原発ゼロを叫び続けます。

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74年目の終戦記念日、歴史に学び、平和な社会に向かって、着実に前進を

 74年目の終戦記念日、8月15日を迎えました。アジアと日本の国民にことばで言いつくせない甚大な犠牲をもたらしたアジア・太平洋戦争が終わった日です。

 日本は絶対主義的天皇制の下で侵略戦争を進め、日本人310万人、アジアの人々2千万人を超える尊い命が犠牲になりました。二度とこのような悲惨な戦争の歴史を繰り返してはならない。この戦後の日本国民の思いは日本国憲法に掲げられて今日まで来ました。

 しかし、安倍晋三首相は自衛隊が米軍と共に海外で武力行使ができる、戦争する国にするために、憲法9条に自衛隊を書き込む改憲に執念を燃やしています。

 このような安倍内閣の野望を許してはなりません。先の参議院選挙で国民は「改憲勢力3分の2」を許しませんでした。戦争への道を再び許すか、阻むか、歴史的岐路に立たされている日本です。

 8月8日、日本共産党の創立97周年記念講演会が開かれました。私は生き方に悩んでいた19歳の時に日本共産党に出会いました。戦前の時代に命懸けで戦争に反対した人たちがいたことを知り、心揺さぶられる感動を覚えました。加害の歴史に学び、力を合わせて、私たちは平和への道、野党連合政権への道を進めようではありませんか。

 

蝉の声がうるさいほど、今年は我が家の庭の葉に蝉の抜け殻ががたくさん見つかりました。

 ミーン、ミーン、ミーンミンミンミン、朝早くからセミの鳴き声がうるさいぐらいです。庭の葉っぱにセミの抜け殻が、あっちにも、こっちにも見つけられます。

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 今年はプルーンもたくさん実をつけました。プルーンジャムが圧力鍋で簡単に出来上がりました。”おいしい、最高の味になりました。

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