24日(火)
26日は①会津家畜保健所、②会津児童相談所、③会津地方振興局、④会津保健福祉事務所、⑤会津農林事務所、⑥会津教育事務所の6か所の審査を行いました。
9月23日(月)秋分の日、伊達剣道大会が伊達町体育館で開かれました。
9月23日ニユーヨークの国連本部で開かれた気候行動サミットでのスエーデンの16歳、グレタ・トウンベリさんの訴えに「その通り」という共感と感動を覚えました。
各国の首脳を前に涙ながらに訴えるグレタさん。「被害を受けている人たちがいる。死につつある人たちがいる。生態系全体が崩壊しつつある。30年以上、何の曇りもなく科学は示してきたのに、どうすれば目をそらし、これで十分などと言えるのか」
グレタさんは、「私たちは大量絶滅の賭場口にある。でも、皆さんが口にできることと言えば、お金の事と、経済成長は永遠に続くというおとぎ話だ」と声を震わせながら、怒りの訴え。「もし私たちを裏切ることをえらぶなら、私たちは皆さんがこの問題から逃げることを許さない」と地球温暖化を1.5度未満に抑えるというパリ協定の目標達成への本気の対応を追求しました。
二酸化炭素排出量の上位の中国は新たな目標を出さず、米国は温暖化そのものを否定し、パリ協定からの離脱を表明しています。日本の安倍晋三首相は恥ずかしいかな、出席しませんでした。
スイスの氷河が500か所も消滅してしまっている現実。あの真っ白い、山々の氷河の姿が見られなくなってしまっていることを真剣に捉え、地球温暖化を促進させないために実践をすることが地球を守る世界の課題であることを改めて指摘してくれたグレタさん、ありがとう。
戦後最大の冤罪事件とされる松川事件は1949年8月17日未明、福島市松川町で列車が転覆し、3名の乗務員が死亡した鉄道破壊事件が起き、犯人として、当時人員整理に反対して闘っていた国労福島支部と東芝松川工場の労働組合役員等20人が逮捕起訴された事件です。1審は死刑5名を含む全員が有罪、14年間、牢に入れられましたが、被告団・家族会・弁護団が団結して闘い、「無実の者を死刑にするな」と松川の運動は全国津々浦々へ、世界中にも広がり、全員無罪を勝ち取りました。松川裁判闘争は、戦後日本の民主主義運動が打ち立てた金字塔と言われました。
松川事件の元被告にされた20人のうち18人がなくなりましたが、元被告の阿部市次さんはNHKの全国放送に登場して「自白を証拠の王とする裁判のやり方、裁判官や検察官の考え方を変えることが非常に重要」と95歳とは思えないかくしゃくとした口調で語りました。松川事件は私が3歳の時に起きた事件です。私は35歳の時から日本共産党県委員会で松川事件の首謀者とされた鈴木信さん、阿部市次さんと一緒に仕事をしました。
身近に知る人たちが死刑宣告を受けた大事件、まだ真犯人も不明の謎だらけの事件、この松川資料をユネスコ「世界の記憶」遺産に登録することを目指した運動も取り組まれています。映画「それでもボクはやっていない」の周防正行監督の記念講演の内容と周防監督の理不尽なものに立ち向かう生き方に感銘しました。最新作「カツベン」は必ず見よう!
5月20日(金)県議会土木常任委員会で梁川町バイパスの現地調査を行いました。
梁川町小学校、認定保育園などが広瀬川の内側、伊達市のハザードマップの浸水区域とされているところに建築されました。6千人を超える反対署名が寄せられたのに、聞く耳持たずで、強行されました。
その防水対策として、堤防を兼ねた道路をつくり、説明では28億の建築費という広瀬川への橋梁工事を進めているとしか思えない事業です。バイパス道路をつくる必要性がそれ以外は考えられません。防災上危険と思われるところに小学校建設を実施してしまった付けがさらに巨額の財政負担になってしまうという悪しき例ではないのかと思うと残念ですし、それをくい止めることができなかった自分の力不足を痛感してしまいます。
保原町古川筋の河川改修については、従来から地域の切実な要望であっただけに、今年度の完成で、これまで床下浸水に見舞われていた柏瀬橋の上流の地域は改善され、喜ばれます。
梁川まちの駅の人気商品、伊達鶏の肉がごろっと入った「ごろっとおにぎり」、全国のべんとうや
9月15日(日)二本松市男女共生センターで「県立高校統廃合を考えるシンポジウムが開かれました。