あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

避難自治体大熊町町長さんとの懇談を行いました。

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 会津若松市、かつっての会津女子高校の建物に大熊町の仮役場が置かれています。日本共産党県議団がようやく、11月15日、仮役場へ出かけ、渡辺利綱町長との懇談が実現しました。吉田淳総務課長、池澤洋一企画調整課長、県から執行の職員も同席しました。怪我をして心配だった石田町議も元気になって同席できました。避難から2年8か月、3区域に再編されてからの復興への課題や要望など時間を忘れての懇談となりました。

 

 

大熊町の96%が帰還困難区域、残る4%も居住制限区域です。避難3年目の冬を迎えます。会津若松市に当初4.000人いたそうですが現在は2600人、いわき市に3,800人が(いわき市に移る方が増えています)避難しています。

 

 復興計画を進めるうえで一番ネックになっていることは原発そのものが不安定であること。こういうことが二度とあってはならない。脱原発、10基廃炉は私たちの願いであること。など率直な意見交換となりました。

 

 30代、40代の若い人たちが自分たちが頑張らなければと使命感を持って頑張っている。原発労働者の宿場、研究者の方たちの住居に苦労している。国へ復興の前線基地を大熊に作ってほしいと要望している。

 

 除染は年間1ミリシーベルト以下は堅持してほしい。20ミリシーベルトはとても受け入れられない数値。どう説明がつくのでしょうか。

 

 住居の住み替えも認めてほしい。避難しているから我慢しなさいではなく、状況の変化に伴う柔軟な対応が必要。住居は修繕しても住めないものが増えている。住宅そのものが使えない。高線量区域の除染の費用と効果の問題がある。解体除染も含めて対応してほしい。浜通りの医療の遅れを実感した。特養施設をつくろうと思ったけれど、介護職員が確保できない。また、復興公営住宅を余裕を持って建ててほしい。住民が分断されては困る。区域わけが必要としても賠償で区別してはならない。などの意見を伺いました。

 

 大熊町は個人的にも大変懐かしいところです。結婚して最初に住んだところが大熊町熊町の佐山沢の町営住宅でした。第一原発1号基が稼働し始め、2号基の建設が始まったころでした。坂下ダム事務所が閉鎖になるまでの間わづか8か月ぐらいでしたが色々と思い出深いところです。NHKのテレビで坂下ダム事務所を根城にがんばる大熊町”じじい組”の活動が放映され、夫は当時の役場職員で知っている顔を見つけていました。

 

 懇談が終わった時に渡辺町長が「一級下です」と言われたので、帰宅してから宮城県農業短大の名簿を探しました。確かに福島県同窓会名簿の1学年下に渡辺利綱町長の名前がありました。同じ宮農の同窓生でした。

 

 

 

 

 

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