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あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

戦後72年の平和な年月をどう考えるのか、我々の責任が問われている

 1月15日(日)あいにくの大寒波、雪が降る中、保原町9条を守る会の再開のつどいが開かれました。87歳を迎えた元中学校校長の佐藤寛先生が「学徒勤労動員の思いで」を語りました。昭和19年10月18日、保原中(現保原高)の3年生138人は横浜市の日東化学工業と三菱横浜造船所に動員されました。育ちざかりの少年には雑穀ばかりの食事は切なく、いつもおなかがすいていた。肥料となる硫安作りをさせられ、硫安の原料を素手で扱う仕事もあり、服は穴だらけ、手の皮は溶け、指紋がなくなっていた。米軍の空襲は激しくなり、横浜からは東京の空が赤く染まるのが見え、工場近くの川には、焼けただれ水で膨らんだ死体が毎日のように浮いていた。福島県教育課は引率の先生に帰校の指示を出したが、神奈川県の学務課と工場は許可をおろさなかった。先生たちは生徒の命を守らねばと独自の判断で帰郷を決行した。昭和20年4月28日は保原に戻ってきたのではなく、逃げ帰ってきた日です。もっと語りたい、聞きたい話でしたが、先生は最後に「大きな反省のもとに日本は新しい憲法を作り、今日まで来ました。72年の平和な年月をどう考えるのか。我々の責任ではないか。バカな戦争はこれから絶対にやってはならないことを申し上げて、話を終わります。」と結びました。

 あぶくま法律事務所鈴木雅貴弁護士からは憲法とは何かについて、わかりやすく話をしていただきました。二度と戦争をする国にさせないために、憲法9条守る輪をさらにひろげましょう。

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