薄さんの遺体は本当に眠っているようでした。県議会の控室に顔を出したことがまるで昨日のようです。前立腺がんも克服して元気になったのに、脳梗塞で不自由になった言葉もだいぶしゃべれるようになったといつもの顔でしゃべっていたのに。薄さん、70歳で行ってしまうなんて早すぎるよ。太鼓が好き、山菜取りが好き、お祭りが好き、わらび座が好き、日本共産党が大好きの薄さん。困った人がいればすぐ駆けつけて支援をする薄さん。被災支援でもブルトーザーを動かす薄さんはどこからもひっぱりだこだったとききました。
薄さんには二度、秋田のわらび座へ連れて行ってもらいました。最初は息子が中学生の時、不登校になって、悩んでいた時、それから何年前になってしまったでしょう。8人乗りの車の運転をしてくれて角館の桜祭りを見に行き、わらび座の公園は「奥の細道」の一茶を取り上げた音楽劇だったと思います。元気と勇気といただきました。ありがとう。参議院選挙気がもめたと思います。いつも薄さんが気にかけている共産党のばすためにがんばります。元気な薄さん、また会おうね。