あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

原発事故でいったい何が起こったのか―被災地ツアー第二弾、浪江・南相馬市へ

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 11月16日(土)、だての医療生協、新婦人共催の避難地ツアー第二弾浪江町南相馬市の視察に参加しました。

 原発事故により、いったい何が起きたのか、この目でしっかり見届けておくこと。そして、二度とこのような悲惨な目に会うことがないように原発即時ゼロを発信し続けること。それが原発事故に直面した私たちの使命ではないか。

 そんな思いを抱えながら、避難指示解除準備区域、居住制限区域とされた川俣町の山木屋を通り、帰還困難区域とされた浪江町に入りました。川俣に避難されている浪江町の方も「こんな時でないと浪江町には入れないから」と参加されました。検問チェックを受け、防護服を着て、入った浪江町。見覚えのあるお店や景色、戸は閉められたまま、人影はなく、だれの声も聞こえません。天気はいいのですが、静まりかえっています。主がいなくなった家のガラス戸に張り出されている

”拝啓東京電力殿”の張り紙は透析をしながら、この家を追い出され、仮説暮らしを強いられているあるじの悲しみ、せつなさ、怒りが胸に迫ってきます。

 田畑は草ぼうぼうの荒れ放題。途中立ち寄った馬場績町議の家はネズミの糞だらけ、逃げる姿も見えました。同行した夫人が仏壇に持ってきた花を供えました。放射能測定器は12マイクロシーベルトをさしていました。

 この家に何年たったら帰れるというのか。一時帰宅をするたびに帰らないことを決める人が増えているのもうなづける荒れ果てたすがたです。

 3年前の3.11震災から時が止まってしまったような浪江駅前の姿。原発事故避難がいかに突然やってきたのか、その日の新聞が積み重なっている様子が窓越しに見えました。町役場で昼食をとり、請戸に向かいました。津波被害がどんなにすさまじいものだったのか海の側の請戸小学校を見学し、南相馬市小高区を宮前さん(京都からボランテアに来て、そのまま住所を移して支援活動を続けている方です)に案内してもらい、日程を終了しました。

「国のエネルギー政策の犠牲になった自治体を消滅させてなるものかといわれた」ある避難指示となった首長さんの言葉が浮かんできました。ふるさとを人生を奪われたこの現実を全国へ、世界へ発信し続けなければと思います。

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