11月22日、福島市で高橋千鶴子衆議院議員を先頭に仮設住宅の住み替え問題で政府交渉を行いました。浪江町、飯館村、南相馬市の皆さんたちから次々と出される実態は胸が痛くなるようなことばかり、政府はいったいなにをしているのか!この声にこたえよ!と改めて思いました。仮設住宅に入所している方の訴え。
●お年寄りは死に場所を探しています。今まで村では自宅から葬儀を出していた。今は病院から、いったん自宅に帰るのではなく、病院から直接、火葬場へ行く。仮設ではなく、自分の家から火葬場に行きたい。
●村では大家族で暮らしていた。9人で3Kの2部屋に入っている。事故から間もなく3年、子ども達は成長してきた。年頃の男の子と年頃の女の子と一緒の雑魚寝を何とかしたいと借り上げ住宅への住み替えを希望しても認められない。借り上げで家族が同じ家で住めるようになれば、電気もガスも一口で済むのに、、、 父はもう80歳ですが家に逃げ帰った。いなくなって探したところ、家に戻っていた。高齢者は家に愛着がある。狭い仮設住宅から逃げて、我が家に帰っていたが、連れて帰ってきた。、放射線量が高いところではとても住めないことを理解してきたようだ。
●一人暮らしの76歳の男性は4畳半一部屋。暮らしているといろいろと荷物も増える。お客さんが来ると座るところもない。空き部屋があるのに、住み替えを認めない。
●子供たちは自分の部屋もない。勉強部屋もない。もう一部屋広い所へ希望しても認められない。
●笑うに笑えない仮設住宅での話。家族で夕食でテーブルを囲んでいる時。子供が「お母さん、おならしたでしょう」「え、母さんはしてないよ」それはなんと隣から聞こえてきたおならの音でした。
●居住権を奪っておきながら、住み替えも認めない。日本の経済力は大きいといわれるのに、日本の憲法は何なのか。
全市避難ではない南相馬市からも悩みの声。要介護者、要支援者の数が震災前から127%に増えている。仮設住宅や借り上げのアパートで介護するのは非常に困難。在宅で介護するには広い家に移りたい。帰還、帰還と帰ることを進めているのに、帰ることを希望しても住み替えはだめだと帰れない人がいる。復興にもつながらない。 原発事故前の元のように暮らしたい。この切実な声になぜ答えられないのか。同一自治体ではダメとか、住み替えは一度しか認めないなど制限を加えずに実情に合ったものにしていく柔軟な対応こそ必要、現場でのこの理不尽な実態をこそ突きつけ、改善を求め続けなければならないと強く思う。