2月7日(金)、神山団長と郡山市にある仮設住宅を訪問し、川内村から避難している皆さんの声を聴かせていただきました。直接、話を聞くことがとても大切な活動であることを改めて痛感しました。川内村は「避難指示解除準備区域」と「避難解除区域」に見直しが行われ、帰還できるとされた区域は2012年8月で賠償も打ち切られました。村に帰れるといわれても、帰村しているのは村民の約4割です。その中には週4日帰っている人も帰村しているとみなされています。完全帰村者は約500人です。帰村者はあまり増えている状況ではありません。帰れるといわれても、帰れない事情がいろいろです。「子ども三人はそれぞれ働いていて、村にはもう帰らないという。山奥の家に私一人では帰えれない。放射能で炭焼きもできない。そのことを考えると胸が苦しくなる」「医者に行くのも、買い物も今のほうが便利。川内村に帰っても姥捨て山だ」「若い人たちの雇用の場もない」「帰っても一人だから、孤独死になってしまう」「事故前までは三世代一緒に暮らしていたけど、今はバラバラになってしまった」「みんなと会って、話しできるのが一番いい」除染や医療体制のことなどまだまだ進んでいない現状を考えると帰る選択ができかねる。どうしたらいいのか思い悩んでいることがよくわかります。
川内村でも線引き差別がありました。原発から20キロ以内、20キロの外で賠償が大きく違ってきます。道路の使用のために、線引きが変えられてしまったという問題もありました。義援金についても20キロ以内の人には一人5万円、外の人には1万円支給と大きく差をつけられたことはいやだった。せめて、同じ村の中で差別しないでもらいたい。との声。20キロ外のごみ処理も無料でやってほしい。診療所の先生がいなくなる。対策をしてほしいなど問題点も見えてきました。2月17日から開会される県議会にも反映させることを約束して、仮設の集会所を後にしました。郡山市ではボランテアセンターの皆さんが日常的に話を聞いたり、映画会を行ったり、支援物資を届けたりと避難者の皆さんの支援を行っています。とても大事な活動だと思いました。私たちの伊達市・伊達郡の仮設への支援の在り方も考えてみなければと思いました。