大熊・楢葉両町の応急仮設住宅の集会所で、仮設住宅での避難生活4年が過ぎようとしている中で、どのような課題があるのかなど皆さんからお話を伺いました。会津はやっぱり、雪一面の白の世界でした。浜通りからい会津に来ての生活は厳しいものがあるのではないかと思いました。
大熊町・長原仮設住宅集会所には7名の方が集まってくれました。70戸弱の住宅のうち、半分ぐらいになっていました。復興住宅へ移った方が12,3人いる。との会長さんの説明でした。大熊町、熊川で海から300メーターぐらいのところで家が津波で流されてしまい、浪江の実家の両親、妹さんが津波の犠牲になった方は、裸一貫とはこういうことかと思う。それでも、たった一人、子どもだけが残されて、孤児になった人もいることなどを思うと自分も助かったことを良しとして頑張らねばと思っているとのお話もありました。仮設では1年に1回、夏祭りや旅行をやっている。絆を強めてきた。
津波被害の方は、家が流されてしまうとそれについては全く何の保証もなく、災害救助法の300万円では家を建てることができない。深刻な現状があります。
〇復興住宅ー遅すぎる。あなたはどこに住みたいですか?のアンケートからもう2年半が過ぎた。気持ちも状況も変わっている。
〇仮設に4年以上もいるとは思わなかった。復興住宅の家賃一覧表を見て、びっくりした。先のことを考えるとこれでは入居できない。災害復興住宅の意味がないのでは?いわき市では市独自の家賃補助をやることになった。
〇先祖代々の土地を渡すことはつらく、苦しい。
〇津波で家を流された人たちはなんの賠償もない。せめて、自分たちのように、原発賠償の7割ぐらい出してもらえるようにしてもらえないか。
〇復興公営住宅の入居を希望しなかった理由は①小動物を飼えない②家賃が高くて払えない③時間がかかりすぎるため。
〇中間貯蔵施設のエリアには入らない。6号線から鉄道の間の区域はどうなるのか。
〇街づくりの構想は結局、原発労働者の住宅など東京電力のためであって、大熊町住民のためではない。
〇街全部を国に買い上げてもらったほうが良いのでは?
などの意見が出されました。