あいにくの雨になりました。早めの夕食をとり、松川の下川崎集会所を目指しました。応援弁士は私と飯野診療所所長の松本医師。さらに今日は村山くに子さんが小学校5,6年の担任だった先生が飛び入りの話をされましたが、とても感動的な話でした。当時は先生よりも背が小さかったけど、今はすっかり大きくなり、市民の皆さんのたよりにされて、東奔西走し、立派に市議としての役目を果たして頑張っている姿に、多くの皆さんに育ててもらったことにとても感謝していますとの話でした。村山さんの故郷は浪江町赤宇木、恩師の先生の出身は双葉町、原発から3キロのところ。二人とも原発事故で故郷を奪われました。その悔しさ、恩師の先生も、村山さんもふるさとの話で胸が詰まりました。私も会場の方も涙ながらに話を聞きました。原発ノーを身をもって語るに最もふさわしい候補者と恩師が村山候補を紹介しました。戦争法ノー、原発ノー、暮らし守る日本共産党4議席を必ず当選させようと決意を強めた演説会でした。