3月20日(月)仙林寺で開かれた秋葉講の例大祭に招かれ、地域の皆さんと親交を深めました。火事から命や財産を守るために毎年開かれてきた例大祭です。
菊池和子さん写真展、フクシマ漂流はつづく
3月18日(土)福島市亜久里珈琲店で開かれていた菊池和子写真展「フクシマ漂流はつづく」を見ることができました。東京でギャラリー結いを開いている私の幼馴染の友人から開催のちらしが届いていました。2002年12月から6年間ポルトガル・リスボン市で暮らしていた菊池和子さんが原発事故以後、フクシマを訪問して、写真を撮り続けてきました。
菊池和子さんの詩 あの日から
あの日から
フクシマは日本と世界の道しるべとなった
ヒロシマに降った死の灰の168倍もの放射能が降り注いだのはフクシマだけではない
栃木・群馬・茨城・埼玉・千葉・東京から静岡辺りまで
そして、莫大な量が太平洋に落ちた
この6年間で空間線量は下がってきたが
土に付着して雨や風に流され
今後何十年も、あるものは気の遠くなるような未来まで存在し続ける
汚染された大地の表皮は黒いフレコンバックに詰められ
ゾンビのように増殖し続ける
人々は土地も家も家族も仕事も学校も
何もかも奪われた
中には命さえも
家畜もペットも森や林の生き物たちにも
過酷な運命をもたらした
フクシマとフクシマの人々の声を
私は聞かねばならない
写真に閉じ込められた「無念」の叫びを
穏やかな目の奥の悲しみを各災害の道しるべの言の葉を
目が見えない、聞こえない、暗闇の世界でも、介助があれば社会参加ができる
3月19日(日)福島県ロービジョンネットワーク主催の講演会が開かれました。「ヘレンケラーになった女子大生」、東京盲ろう者友の会の荒美有紀さんが講演をしました。
荒さんは16歳の時に神経性の病気を発症し、22歳の時に視覚と聴覚と下肢に障害があらわれ、自分の体に触れている人しか認識できなくなり、自分が欠陥品のように思えた。しかし、多くの人々との出会い、通訳介助者の支援で、椅子に例えれば、一本足の椅子でも立てるようになった。(健常者は4本足の椅子)
見えない、聞こえない盲ろう者は3つの困難がある。1。移動の困難 2。情報収集の困難 3.コミニケーションの困難。これらの困難を通訳解除によって克服。手のひらから世界が広がることがわかり、もう老舎の社会参加の促進には通訳者が必要なことが理解できました。
原発ゼロへ、県民大集会に5700人
3月18日(土)郡山市開成山陸上競技場で開かれた「原発ゼロへ県民大集会」は約5700人の参加で福島県民の原発ゼロを発信する集会となりました。県内の幅広い著名人が呼びかけ、ふくしま復興共同センターも加わる実行委員会主催で行われ、特別ゲストの香山リカ氏(精神科医)は「福島のことを全国、全世界の多くの人が応援し、関心を持っている。私たちも福島を事故のシンボルではなく、脱原発の第一歩だったといえるよう、これからも一緒に頑張っていきたい」と訴えました。
浪江町の馬場有町長は被災自治体の首長として、6年間の避難生活や避難指示解除への思いを述べ、「福島原発事故の原因究明をしないまま再稼働が進んでいる。国、電力会社が言う「安全」は信用できない。第2原発の廃炉を実現し、原発のない日本をめざそう」と訴えました。原発事故の被災地福島から声をあげ続けましょう。
日本一子どもを産み育てやすい福島県へ、今のままでは中身が見えません
子どもを大切にしない国は人間を大切にするはずがありません。子どもを大切にしない国に、豊かで明るい未来はないといえるでしょう。しかし、今、日本の子供たちを取り巻く状況は暗く、厳しい話にあふれています。2月県議会、宮川議員の一般質問でも子供の貧困問題を取り上げましたが、日本では子どもの6人に1人が貧困状況にあるとされています。福島県警の調査では2016年児童虐待通告が前年より445人増えて573人と大幅に増えました。子どもの面前でのDVも数えられるようになったためとされていますが、親もゆとりがない表れといえるのでしょう。さらに福島県では、6年目にして子供たちのいじめが表に出てきたように原発事故による様々な要因が重なっています。
浪江町対馬から避難しているAさんは「震災当時、小2・小1・保育園・2歳の孫と長男夫婦と暮らしていた。避難の過程で息子夫婦は離婚、4人の孫を親代わりに育てた。転校先で体操着が机やいすの雑巾代わりに使われ〇〇菌と呼ばれ孫は追い詰められた。」原状回復を求める生業裁判に加わり、「故郷に帰れるから頑張ろうという姿を孫に見せたい。よるべなき精神の放浪が、幼い者たちから年配者まで苦しめている」と訴えています。
すべての子どもたちが、すくすくと育つことができる社会にするために、格差が広がる安倍暴走政治をなんとしても変えましょう。