県議会議長、副議長へ16,533筆の署名を提出しました。これまで約230万を超える署名を提出してきたそうです。教員の多忙化や子どもたちも不登校が過去最高に増えているなど、教師になり手がないなど様々な問題を抱えています。人を育てる教育の現場でこそ民主的な教育改革が求められています。日本共産党は教職員の働き方を変えたい提言を行いました。
12月4日(火)12月県議会が開会しました。県議会冒頭で全国都道府県議会議長会から永年勤続をたたえた地方自治功労者(在職15年以上)として、平成30年11月1日開催の第161回定例総会で表彰された表彰状、記念品の伝達を受けました。
6人の県議のうちの一人として、知事からも感謝状を受けました。
1995年(平成7年)の県議会選挙で定数4の伊達郡選挙区で第4位で発議席を得て、定数削減された2003年(平成15年)、2007年(平成19年)で3位まで届かず、涙をのみましたが、2011年(平成23年)、2015年と第2位で議席を取り戻し、4期目を務めていますが、これまで勤めてくることができたのは、家族をはじめ多くの皆さんの支えがあってこそです。共に闘ってきた仲間の皆さん、ご支援いただいた皆さんに心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。
来年は必ずバトンタッチできるようにしっかり役目を果たして頑張りたいと思います。
11月2日(木)伊達市茶臼の郷で福祉避難所の開所の避難訓練が行われ、大橋さおりさんと参加しました。
東日本大震災の時に福島県では1か所も福祉避難所が開設されませんでした。障害のある人が避難所に行っても、車いすから降りることもできずに、乗ったままで体を休めることができなかったことや、避難した体育館でパニックになってしまって、出ていってほしいといわれ、どこにも避難できなかったことや、普段、柔らかいものしか食べることができない障がい者がおにぎりを渡されても食べることができなかったなど、障がいのある人や高齢者など要支援者が避難できる福祉避難所が必要なことを私も県議会で取り上げてきました。福祉避難所の指定は各市町村で進んできましたが、問題はいざという時に機能できるようにする訓練が必要です。県北障害者団体連絡協議会が昨年福島市で行われ、今年は伊達市で行われるというので視察に行きました。開所するために場所の水道やガス、電気などの点検から始まります。当日は車いすの障がい者と知的障がい者が避難者となって訓練を行いました。避難訓練の重要性が実感できた体験でした。
11月22日(木)保原町身体障がい者福祉会の歩行訓練で「震災の教訓をつないでいく」相馬市の復興を視察しました。東日本大震災・原発事故によって壊滅的な被害を受けた松川浦漁港の復興状況を見ながら相馬市伝承鎮魂記念館を訪れ、震災当時の画像を見ながら、語り部の話を聞きました。相馬市では避難誘導に当たった30代、40代の若い消防の方たち10名を含む、458名が犠牲になりました。犠牲になられた方たちの鎮魂の場でもあり、大震災によって失われた相馬市の原風景を後世に残していくことを目的に建設された記念館でした。
「伊達市にもこういうのが必要だよね」と参加者が口をそろえて見学したのが「防災備蓄倉庫」でした。相馬市の皆さんが3日間は耐えられる飲料水や食料、毛布、布団、バッテリーや組み立てできる軽いアルミ素材を使ったリヤカーなどが備えられていました。昼食には浜ならではのおいしい煮魚がだされ、その大きさにも大満足の「歩行訓練」となりました。
今年も庭に小菊が咲きました。真ん中がうすい黄緑色でまわりが真っ白なお気に入りの花です。長持ちで、心を和ませてくれます。