あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

胸の内を語り合い、学びあい、連帯の広場である母親大会に700名を超える参加者

 福島県第56回、だて第2回母親大会は伊達市保原町小学校で開かれました。各分科会・講座・特別企画・市民の太陽光発電所などの見学分科会が行われた午前に続いて、午後の全大会は避難指示となった川俣町山木やの山木や太鼓で開会しました。小、中、高の若い皆さんのエネルギッシュで力強い演奏は実に見事なもので会場からアンコールが出されました。力を出し切っての演奏なので、太鼓でアンコールはないそうですがもう一曲、力を振り絞って応えてくれました。

 記念講演では福島県9条の会代表、元福島大学学長の吉原泰助さんが「憲法は誰のために、何にためにあるの」と題して話をされました。少し、難しかったのですが、今、安倍内閣が変えようとしている憲法の中身は日本が再び戦争をする国へと進む、非常に危険なもの、これを許さないために、私たちはしっかり学び、連帯しよう!とても大事な時期に私たちは直面しているという熱いメッセージが伝わるものでした。

 母親大会は、「もう絶対に戦争はさせない」というお母さんたちの願いが集まって始まったものです。戦争に負けてやっと平和な世の中が来たと思ったのに、日米安保条約を結び、ビキニ水爆実験が行われ、またきな臭い動きが始まりました。三たび原爆を許すまいと平和運動が一挙に高まりました。国際民婦連の呼びかけで世界母親大会が開かれることになりました。日本からも代表を送ることとあわせて、第1回日本母親大会が開かれました。1955年、6月、全国から2千人が集まり、東京で開かれた第1回母親大会、戦前から一人で耐えてきた日本の母親たちの悲しみや苦しみが吐き出されて、話しながら、聞きながらみんなが泣いた”なき親大会”となり、世界母親大会に参加する16人の代表を決めました。

その年の7月、スイスのローザンヌで68か国、1060人が集まって世界母親大会が開かれました。以来、日本では毎年、日本大会、そして都道府県や各地で続けられてきました。

”命を生み出す母親はいのちを育て、命を守ることを望みます””母親が変われば社会がかわる”のスローガンが掲げられてきました。

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