あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

まつろはぬ(服従しない)人々の歴史ある岩手県で第63回日本母親大会

 今年の第63回日本母親大会は8月19、20日と岩手県で開会されました。いのちを産み、育てる女性たちが全国各地の闘い、取り組みを交流し、それぞれのベテラン講師から学ぶことができる連帯と学びの場です。

 私は「登校拒否・不登校・ひきこもり」の分科会に参加しました。

 ひきこもりのきっかけが半数を超えて不登校をひきづり、長期化、高齢化が進んでいて、不登校の子どもたちへの支援がひきこもり解決にもつながることや、何らかのいじめ経験が不登校につながっている例があることなど教育全体の問題が重要なことも話されました。

 東日本大震災ではひきこもっていた息子がいったん外に出ようとしたけれど、家に戻り、何度も避難を呼びかけた母親と一緒に津波に流されてしまったつらい話や父母会発足30年の岩手県の取り組みや埼玉県の取り組みなどそれぞれが体験していることなどを出し合い、涙ながらの語り合いもあり、4つの申し合わせ事項を確認しました。

◆親の想いの押し付けをやめ、子どもの気持ちに寄り添って、伴奏しましょう。

◆親が悩みを出し合い、支えあえる仲間、親の会をつくりましょう。

◆子どもや若者が認められ、安心していられる居場所をつくりましょう。

◆当事者や親の現状を学校、行政に伝え、公的援助を求めていきましょう。

 

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第33回だてな太鼓祭り、今年も天高く、太鼓の響きを届けました

 

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 8月20日(日)350年を超える歴史を誇る霊山太鼓、今年もチームが勢ぞろいして、同時打ちが行われました。子どもたちから、若者、ベテランのおじいさんたちもそろいの法被に身を包み、霊山太鼓特有の短いバチを持って、リズミカルに打ち続けます。

 昨日まで降り続いた雨はおさまりましたが、夜になって、又降ってきました。一日の終わりの花火は空高く上がり、太鼓祭りの終了です。

 原発事故から7年目、収束の道のりはまだまだずーと長いけど、だては負けない、みんなで力を合わせ、この難局を乗り越えましょう!

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戦後72周年の終戦記念日ー二度と悲劇を繰り返させないために日本国憲法をいまこそ国民の中へ、世界の中へ

 2017年8月15日、戦後72年の終戦記念日を迎えました。第二次世界大戦で日本人310万人アジアの人々2000万人の尊い命が奪われました。マスコミでも 人体実験を行った「731部隊」や太平洋戦争で最も無謀とされた「インパール作戦」、一瞬にして十数万人が焼き殺され、街は廃墟となった「広島・長崎の原爆投下」などが報道されましたが、戦争がいかに残虐なものか、人間を狂わせてしまうものかを改めて考えさせられます。無念の死を迎えなければならなかった一人ひとりの声に耳を傾けなければならないと思います。この人々の犠牲の上に、戦争の惨禍と反省の上に日本国憲法はつくられました。

 この歴史の事実に向き合い、二度とこのような悲劇を繰り返さないために、日本国憲法を守り抜き、憲法を活かした平和な社会を築くために、多くの人々と力を合わせる時だと思います。「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」ワインゼッカー元ドイツ大統領が敗戦40周年記念集会で行った有名な演説です。

 安倍内閣は過去の歴史に何を学んでいるのか。国民の反対の声を踏みにじり、秘密保護法、安保法制=戦争法、共謀罪の強行制定と戦争への道をひた走っています。戦争か平和かの歴史的岐路です。負けるわけにいかない、未来がかかった戦いです。

 今日は近藤真一伊達市議と終戦記念日の街宣を行いました。

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すごい!映画「抗い」記録作家林えいだいの生き方

 いい映画だったよと教えられ、最終上映を見ることができた。その日はわらじ祭りの日でもあったが、観客は10人に満たなかったと思う。これだけの映画がもったいない。

 あまり知られていなかったと思う。教えてくれてありがとう。

 福岡・筑豊での戦争の悲劇や朝鮮人強制労働問題など闇の歴史を掘り起こし、徹底した聞き取り調査によって世にだしてきた記録作家林えいだいさんの姿を追った映画です。朗読を担当した田中泯さんのトークショウもあったようです。田中正造が奮闘していた足尾銅山には1年6か月泊まり込んで鉱毒事件の取材をしたそうです。神主であった父が逃げてきた朝鮮労働者を助けていたことでひどい拷問を受け、それがもとで亡くなった非国民と言われた父の生き方を受け継ぐ決意が強く伝わってきます。埋もれさせてはならないことを掘り起こして、世に伝えることがどんなに大切かを改めて知らされました。