双葉町では副町長はじめ、3人の職員の案内で町内を回りました。役場の扉を開けるとカビ臭いにおいが鼻を衝く、書類は散乱し、柱の時計は東日本大震災が発生した日の時を指している。階段を二階に上ると、原発事故当日、東京電力から入った事故状況が模造紙に刻々と記されている。町の様子がよくわかる屋上に上がり、副町長から国が提示している中間貯蔵施設について説明を受ける。かつて町が分譲した住宅地や墓地も含まれる広大な土地だ。町民の皆さんにとってはいろいろの思いがあるだろうと思う。車に乗って町内を見て回り、人が誰も住まない町はこんなにも荒れてしまうのかと驚きの連続でした。あちらこちらに崩れ落ちてがれきが道路にはみだしている家があり、草が茫々と生い茂り、インフラ復旧は、ほぼ未着手です。双葉町は平成25年5月に警戒区域の見直しが行われましたが、避難指示解除準備区域に指定されたのはわずか4%で、96%という町のほとんどが帰還困難区域です。
町民の避難先は川俣町から埼玉県加須市旧騎西高校などに移りましたが、役場機能も今は騎西高校からいわき市に移っています。町民は全国39都道府県、およそ400の市町村等に分散しています。その中でのコミニテイの形成や復興公営住宅を核とした町外拠点の整備や中間貯蔵施設建設受け入れ要請への判断など難しい課題に取り組んでいかなければなりません。
説明資料には 帰還時期の見通しと町の復興について、原発の安全かつ確実な廃炉措置作業の実施が帰還の判断の大前提になると書かれていました。”ずっと、ふるさと。双葉町”のマークに町民の皆さんの思いが伝わってきます。
ここは畑ではありません。双葉中学校の校庭です。草だらけになってしまいました。 新しく立てた学校給食センターは4月から使う予定でしたが、一度も使われることなく、そのままです。