戦後最大の冤罪事件とされる松川事件は1949年8月17日未明、福島市松川町で列車が転覆し、3名の乗務員が死亡した鉄道破壊事件が起き、犯人として、当時人員整理に反対して闘っていた国労福島支部と東芝松川工場の労働組合役員等20人が逮捕起訴された事件です。1審は死刑5名を含む全員が有罪、14年間、牢に入れられましたが、被告団・家族会・弁護団が団結して闘い、「無実の者を死刑にするな」と松川の運動は全国津々浦々へ、世界中にも広がり、全員無罪を勝ち取りました。松川裁判闘争は、戦後日本の民主主義運動が打ち立てた金字塔と言われました。
松川事件の元被告にされた20人のうち18人がなくなりましたが、元被告の阿部市次さんはNHKの全国放送に登場して「自白を証拠の王とする裁判のやり方、裁判官や検察官の考え方を変えることが非常に重要」と95歳とは思えないかくしゃくとした口調で語りました。松川事件は私が3歳の時に起きた事件です。私は35歳の時から日本共産党県委員会で松川事件の首謀者とされた鈴木信さん、阿部市次さんと一緒に仕事をしました。
身近に知る人たちが死刑宣告を受けた大事件、まだ真犯人も不明の謎だらけの事件、この松川資料をユネスコ「世界の記憶」遺産に登録することを目指した運動も取り組まれています。映画「それでもボクはやっていない」の周防正行監督の記念講演の内容と周防監督の理不尽なものに立ち向かう生き方に感銘しました。最新作「カツベン」は必ず見よう!