福島第一原発の立地町である大熊町の大河原地区が避難指示が解除され、役場庁舎も新築され、復興公営住宅にも住み始めたというニュースを見ながら、「行ってみたいね」と夫と話をしていましたが、台風も行ってしまったようだから、見に行こうと8月17日に息子も加わり、三人で出かけました。川俣町山木屋から浪江町に入りました。放射線量は津島辺りで、車の中で、最大2.9μシーベルト、住宅の入り口はガードで閉鎖されていて、人が住まなくなった町をひたすら走り、6号線を南下し、富岡町の東電「原発事故」センターで館内を見学し、大熊町役場に行きました。
静まり返った地に立派な庁舎が立っていました。そこから昔を思い出しながら坂下ダムに行きました。役場職員を退職された方たちが、やがて故郷に戻ってくる人たちのためにと様々な活動をされてきた「じじい部隊」の活動拠点になった所です。
坂下ダム事務所は夫が結婚して最初に赴任した事務所です。赴任して間もなく坂下ダムは完成し、坂下ダム事務所は閉鎖となり、夫は原町にある農林事務所に転勤になりました。大熊町は1年にも満たない短い滞在でしたが、結婚して最初に暮らしたところで、いろいろと思い出深い地です。当時、福島第一原発1号機が動き始めました。坂下ダムの水は農業用が主でしたが、原発の冷却水として使われました。原発事故後、人が住めなくなった町、6号線に近い、熊地区の私たちが暮らした6畳2間の町営住宅は草の中に埋もれてしまっているのではないかと思いながら、通過しました。
荒れ果てた景色がどこまでも続くのを見ながら、原発事故の罪の深さとそこで暮らしていた一人一人の悔しさや、怒りや、やりきれない思いを考えてみました。私たちは原発ゼロを叫び続けます。