あべ裕美子のかけ歩き

日本共産党・あべ裕美子福島県議の活動報告です

東京都議選、共産党2議席増の19議席確保、頑張りぬきました

 全国注目の東京都議会選挙、安倍政権の暴走政治の中で首都東京の審判が示されました。自民党が過去最低の23議席の大惨敗、都民ファーストの大風の中、日本共産党現有議席17から2議席を増やし、19議席になりました。悪政を変えて、まともな政治にしてほしい、との都民の思いが示されました。開票結果19議席を確認して眠りにつきました。

生命を生み出す母親は声明を育て生命を守ることをのぞみます ,平和な未来をこどもたちへ、第60回福島県、第47回いわき母親大会

 「核戦争から子どもを守りましょう」と始まった母親大会、今年はいわき市で開かれ、650名の女性たちが参加し、平和な日本、国民一人一人が大切にされる日本を子どもたちに手渡すために、学び、語り合い、連帯を深めました。

 第1回日本母親大会は亡き親大会ともいわれました。1円募金を集めて旅費をつくり、ようやく大会に間に合った炭鉱から参加したお母さんは赤ちゃんを背中に背負って、生活の苦しみなど涙ながらに語りました。会場から次々と発言の手をあげるお母さんたち。あれから女性たちは強く、成長してきました。しかし、まだまだです。

 今年は日本婦人団体連合会会長の柴田真佐子さんが「女性が輝く社会をめざして」と題して講演しました。日本の男女平等度は世界144か国中111位、前年の145か国中101位よりさらに後退しています。女性差別などの是正で国連から51項目の勧告を受けています。平和な社会にするために、安倍政権の憲法改悪との闘い、原発再稼働を許さないために語り合いました。分科会は「うたごえは平和の力」に参加して、久しぶりに大きな声で歌いました。

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山木屋の復興の拠点、とんやの郷(山木屋地区復興拠点商業施設)開所式

 川俣町山木屋は3月31日に避難解除となりましたが、復興への道のりは厳しいものがあります。「とんやの郷」その復興への拠点としての役割を果たすことができればと思います。日用品が買えるお店と食堂が入り、3日(月)曜日から役場支所が「とんやの郷」に移動して、仕事を開始します。総事業費、約6億8千万(津波原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金を活用)

 山木屋は約390世帯、1千人が住んでいた地域です。避難解除になっても、戻ってくる人は何人になるでしょう。高齢者が中心の生活支援、生業の復興、戻れる人も、戻れない人もしっかり、長期の支援が必要です。

 元気印の「山木屋太鼓」がオープニングを飾りました。来賓あいさつで増子輝彦参議院議員原発は安全の安全神話にどっぷりつかってしまっていて、事故を起こしてしまい大変申し訳なかったことをお詫びします。とお詫びを表明しました。

 安倍総理が挨拶に着ましたが、とても白々しく思います。あいにくの雨になりました。

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県産材を活用した園舎、道の駅を視察

 6月30日(金)農林水産常任委員会の現地調査が行われ、県産材活用を積極的に取り入れていくために桑折町でも平成27年桑折町木材利用推進方針を明確にし、増築工事を行った桑折町情報幼稚園を視察しました。木造部分の建築工事費191、135千円の2分の1の補助事業を活用しています。「福島県森林整備加速化・林業再生基金事業」(総建築費、388,260千円)

 足を踏み入れたとたんに、木の香りがして、子どもたちにはとてもやさしい環境です。

 続いて、5月3日にオープンした道の駅国見、あつかしの郷を視察しました。

太田久雄町長(まちづくり株式会社社長)が自ら説明をしました。来場者は30万人達成。街づくり株式会社専務は町職員が執行。10名の取り締まり。96名雇用(内国見町80名)、正職員12名、パート、アルバイト84名、出荷組合員約420名(町内、町外半々)。直売所は米10%、果樹25%、葉菜%、加工20%、その他、特に米は売れ行きが良く、米部会約40件の農家の人たちもびっくり、天の粒は在庫がなくなり、コシヒカリに変えているとのこと。

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アベマリアの歌が流れる式で義母、宮子さんとお別れ、福島市を見渡せる墓地に納骨

 6月29日(木)晴れ渡る熱いぐらいの日でした。福島市松木町教会で葬儀を行い、渡利の火葬場で荼毘に付され、渡利の墓地へ納骨しました。前々日に息子の鉄平と墓地を掃除して、みんなを迎えました。おくりびとに美しく整えてもらって、宮子さんらしくないような気もちょっとしましたが、口紅もつけて、美しくなった宮子さん。最後のお別れをしました。おじいちゃんが待っていた墓に納骨を済ませました。福島市内が見渡せる眺めのとてもいいところです。99年8か月の月日、ご苦労様でした。

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課題山積、障がい者を取り巻く環境ーだて地方手をつなぐ親の会総会

 6月24日(土)だて地方手をつなぐ親の会総会が開かれ、役員体制も新たになりました。来賓あいさつは地元の金子恵美衆議院議員亀岡偉民衆議院議員秘書(娘さん)県議の私と亀岡義尚県議が行いました。伊達方部に支援学校をつくってほしいなど運動課題があります。また、知的障害、身体精神と三障害の連携をとっていくことも大事です。これから取り組まなければならない課題です。

99歳8か月の人生を生き切りました。義母の宮子さん6月26日(月)3時46分、静かに呼吸が止まりました。

 長男夫婦、二男夫婦に見守られ、99歳と8か月の人生に幕を引いた義母の宮子さん。眠り続けて、静かに息を止めました。最後まで生きることに意欲的に挑戦をしてきた宮子さんでした。頑張りぬいた人生でした。晩年は「はなしのぶ」の皆さんに大変お世話になりました。昨年のお正月は我が家で98歳の宮子さんと88歳の私の母と68歳の私と3人そろっての笑顔の写真を撮りました。痛みが強く、救急車で入院してから、痛みが良くなり、医師も100歳まで頑張れればと言っていましたが、力尽きました。病名は「多臓器不全、閉そく性動脈硬化」との診断でした。病院の窓からくれない色に輝く朝焼けが見えました。黄金色に輝く太陽が昇ってきました。

 「手まりつき歌、バラが咲いた」何度も一緒に歌いましたね。また、歌いましょ。宮子さんは周りの皆さんにいつも「ありがとう」の感謝の言葉を述べていました。波乱万丈の人生、幸せでしたか。宮子さんと過ごしたことをみんなで語り合います。笑って聞いてください。

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