2013年3月11日、あの日、私は福島市で行われた重税反対集会から戻ってきて、保原町事務所に到着し、車から降りた時でした。午後2時46分、いつになく揺れの大きな地震に見舞われました。終わりそうで終わらない、長く続く揺れに、ちょうど下校途中の子どもたちが前の広場に円を組んで座り込み、「大丈夫?」と声を掛け合いました。目の前で薬師堂の門の瓦が砂煙を上げて、ガラガラと崩れ落ちました。
東日本大震災は津波と原発事故となり、岩手県、宮城県、福島県に甚大な被害を与えました。福島県は放射能汚染という異質の被害に直面しました。
今だに県内外に避難を余儀なくされている県民は約5万人(避難先で自宅を確保した人は数えられていない)、震災関連死は2,222人と直接死1,605人をはるかに超えて増え続けています。被災三県の中でも福島県は宮城県、岩手県より自殺者が増えているのが目立っています。生業の復興もまだまだです。原発の汚染水対策や廃炉への道は先が見えてきません。賠償問題や除染など差別、選別で苦しみが続いています。原発事故という未曽有の困難を体験した私たちはしっかり原発ゼロを発信し、声を上げていきましょう。